国分寺市不登校を考える親の会(さくら草の会)
通信247号 2025 9月27発行
次回の定例会は10月25日です。定例会は第四土曜日2時から4時。会場はひかりプラザの予定です。地域を問わずどなたでもご参加ください。参加無料、予約も連絡も不要です。
さくら草の会よりおしらせ 7,8,9月の定例会は、空調故障でひかりプラザが使えなくなり、7、8、9月は会場を変更しました。今後も変更する可能性もありますので、会場についてはお問合せ下さい。
事務局 石井ひろ子042-502-7558(留守電にメッセージを入れてください。おりかえします。)
教育フォーラム「不登校を考える」
不登校・ひきこもりと地域に求められるもの
~子どもと歩む保護者たちの思いに寄り添って~
【日 時】2019年1月26日(土)午後2時~4時30分
【会 場】ひかりプラザ(203、204号室)
【講 師】広木 克行さん (神戸大学名誉教授)
【参加者】73名
(前回のつづき)よく親たちの口から聞くのは起立性調節障害などという言葉や自律神経失調症という言葉あるいは睡眠障害という言葉です。それは子どもが悩み切った末の結果そういう状態になっているのであって、それがあるから学校にいけないというのとはわけが違うのです。子どもたちが感じている疑問や悩みはそういう○○障害と名付けられるものがあるから起こるというのではなくて、子どもたちはある意味で極めて健康な気持ちであるゆえに、現実のなかで感じる不安や悩みがそういう症状となって表れるのではないかと私は思います。そのことをぜひ知っていただきたいと思っています。
浜田壽美男先生の書いた『子ども学序説』の中に登場する不登校の子どもの声なのですが、中学生がこんなことを書いているのです。
「あの時の私の生きていく場所は学校で、学校という狭い窮屈な世界が全てだった。その狭い、せまい世界の中で他人の目、価値観によって自分にはられるレッテル、それが私の価値すべてだと思い込んでいた。だから苦しかった。そればかりを気にして自分で自分の首を締めていく様なものだった。楽に息がしたくて、酸素が欲しくてたまらなかった。そして私は “私”という人間をなくした。(中略)
学校で教えられたことは学校でしか成り立たず、しかし私はそんな事、気付きもしなかった。今、私はあんな風にしか生きられなかった “あの頃の私”を、とても可哀想に思う。他人の目、価値観によってはられるレッテル。それがどれだけくだらないものなのか。登校拒否をして、私はやっとそれが分かり始めたのだ。」
中学生でこういうことを書くのですよ。その言葉がどれほど適切であるかどうかは別にしてここに込められた心は子どもたちのホントの苦しみ、学校では酸素が吸えないっていうのですもの。やはり自分が学びたいものはそれとは違う。でもこういう人間を社会性のない○○障害とか○○症候群とかいうふうに名付けてしまう。それで分かったつもりになっているケースが少なくないのです。
保育園や小学校に通う子どもの場合にもこんなケースがあります。
一人のお母さんが小学校一年生のお兄ちゃんのことで相談に来てくれました。お兄ちゃんの登校渋りを心配して学校に相談に行ったら、先生からまず病院に行って診てもらってくださいと言われ、その診断結果を持って市の教育研究所に相談に行って下さい、とも言われたそうです。子どもの話を直接聞こうともしないその先生は登校渋りという状態を頭から症状と考えているのではないかと思われます。
先生のその対応が納得できずお母さんがひとりで悩んでいるとやがて4歳の妹さんも保育園に行きたくない、お兄ちゃんみたいに休みたいと言い出したそうです。そこでお兄ちゃんのことで相談を勧められた教育研究所に妹を連れて行って話しをしてみたのですが、相談員の先生は母親の話しを聞きその子の様子を見て、こう言ったそうです。「この子HSCですね」と。HSCというのはハイ・センシティブ・チルドレン、要するに非常に敏感な子だというのです。「敏感な子ですね」ではなく、「HSCですね」といわれると何か障がいじゃないかと思うわけですよ。そして相談員は児童精神科がある病院に電話して、すぐ行ってくださいと言われたのだそうです。学校でも教育研究所でも病院へと言われたのでそのお母さんが病院に行ってみると、医者もまたこの子はHSCですからと言って薬を出されたのだそうです。敏感さを少し緩める薬のようですがそれを飲むともっとゆったりと生活ができるということらしいのです。
このケースにも見られるように子どもに何か問題を見つけると、その原因を子どもに求め子どもを変えるように働き掛けようとする傾向が最近再び顕著になっているようです。HSCという新しい診断名もそのような意識の中で使われた可能性があると思われました。(次回につづく)
