国分寺市不登校を考える親の会(さくら草の会)
通信251号 2026 1月24発行
次回の定例会は2月28日です。定例会は第四土曜日2時から4時。会場はひかりプラザの予定です。地域を問わずどなたでもご参加ください。参加無料、予約不要です。
事務局 石井ひろ子042-502-7558(留守電にメッセージを入れてください。おりかえします。)
教育フォーラム「不登校を考える」
不登校・ひきこもりと地域に求められるもの~子どもと歩む保護者たちの思いに寄り添って~
【日 時】2019年1月26日(土)午後2時~4時30分
【会 場】ひかりプラザ(203、204号室)
【講 師】広木 克行さん (神戸大学名誉教授)
【参加者】73名
(前回のつづき)子どもが表すシグナルの三つ目、それは子どもの叫びです。自分の気持ちを言葉にしたいのに言葉が無いときの言語表現ということも出来る言えるかも知れません。それは自分の苦しみをまだわかってくれない親に対する抗議でもあるでしょうし、自分のことを一度もわかってくれようとしなかった学校の先生たちに対する抗議でもあります。場合によってはせっかく相談に訪れたのに、自分のことをちゃんと聞いてくれなかったドクターに対する怒りであるかもしれなません。自分の気持ちを、その状態ではなくてその状態の意味するところを、しっかりと引き出すまで待ってくれるカウンセラーや親と出会うまで子どもたちは本当に彷徨い苦しむのです。そして何度も症状に立ち戻ったりそしてまた行動に立ち戻ったりそして叫びをあげたりしながら子どもたちは自分の思いを表していきます。
そして叫びを表出する子どもの中には、自分が弱いから学校に行けなくなったと思われているのではないかと思って、自分を強くしたいという思いを込めている子がいます。とにかくエキスパンダーや鉄アレイを買って来いと親に求め、それで一生懸命体を鍛えたり腕立て伏せを何十回やるんだと言って、それに打ち込む子どももいます。それなのに外で身体を動かすことは出来ないのです。それが不登校とどんな関係があるのかと疑問に思う親や教師も多いようですが、自分の弱さが問題だと思われている子どもの辛さに気づく人は決して多くはありません。子どもたちは弱いと思われたくないから自分を鍛えるのです。
私が聞いた一つのケースには、ボクシングのトレーニングをしたいということで、茶の間を改装してそこにリングを作ってボクサーになったかのようにリングの上で必死にシャドーボクシングをする子がいました。親や教師あるいは周りの人たちが「こいつ弱いんじゃないか」というニュアンスの言葉や表情をするとそれに敏感に反応し反撥して体を鍛えずにはいられない、そんな切ない行動になって表れたケースだと思います。
その子たちは過敏と思われるほど感じ取る力があり、そこまで考える力があって行動できるのだから育ちなおす力は十分にあるのです。だから大丈夫だと考えて子どもを信じ、子どもの言葉を聞きながら理解しようと努力を続けることが大切なのですが、親であってもそれは決して簡単なことではありません。言葉にならず叫ぶしか無い子どもたちの言動の意味は、「弱い自分」を責める気持ちの他に、将来に希望が持てない「ダメな自分」への焦りと怒りの気持ちでもあり、友達と同じに動きたいのに動けない「異常な自分」の存在を否定したい気持ちでもあります。言葉にならない叫びもまた苦しみを表す子どものシグナルなのです。
「普通」という言葉が持つ暴力性
さらに子どもたちは親たちの言葉の中に「普通」という言葉が出てくるとすごく反応します。子どもが元気な時には一向に気にならなかった言葉ですが、それが様々な苦しみを抱えて学校にいけなくなったその瞬間、ものすごく暴力的な意味を持って迫ってくるのです。この「普通」という言葉には比較の響きが込められています。ほとんどの人がしている「普通」が出来ないこの子という比較です。その比較の意識を持っているとそれがすぐに言葉になって出てしまうのです。子どもの前で「普通」という曖昧模糊とした基準を持ち出して比較しこの子はおかしい、異常だと言っているように子どもは感じるのです。そのように見なされているのではないかと思ってその普通でない自分に苦しむわけです。
そんな時、子どもたちは叫ぶしかありません。「俺はおかしいのか? 俺は生まれてきてよかったのか? こんな異常な俺が。俺は死んだ方がいいのではないか、俺が生きていることが親を苦しめるのではないか」等々と。それは時には死の願望に直結した苦悩の表出であったり、それに近い思
いを込めた感情の爆発であったりするのです。それは自分が異常だと周りから思われていることに非常に敏感に反応している子どもたちの姿でもあります。
その「死」という言葉をわが子から聞いたときに驚かない親はいません。「ダメダメそんなこと言っちゃ。悲しすぎる」などと言ってそれを否定したくなる気持ちをついつい口にしてしまいます。それを聞いた時の気持ちは親の会でよく話題になることです。親がダメと言わないと子どもが本当に死んでしまうのではないかという自分の不安感の表出に過ぎないことを親たちは何度も確認せずにはいられません。そして子どもが発する「死」という言葉には、「この子は普通ではない」、「この子は異常だ」という周囲の雰囲気の中で自己否定感に苦しむ子どものシグナルの意味があることを学び、その苦しさを吐き出せる関係こそ重要であることを確認する必要が有るのです。
(次回につづく)
